焦燥 天真文庫
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 「山本君、今日は先方のバイヤーと最後の詰めだったな。なんなら俺も一緒に行こうか?」上司の渡辺が、心配そうに声をかけた。
 「いえ、もうあとは納期の確認くらいですので、課長のお手間は取らせません」
山本は他の社員の手前、そう答えざるをえなかったが、実を言うと内心どきどきしていた。

 実は山本は、最初に先方のバイヤー佐藤と会った時からどうも馬が合わず、商談のときはなぜかいつも気後れしていた。現在の取引額を考えれば、特に佐藤のところが上得意と言うわけでもなかったが、会社の方針として、これから先、佐藤の会社に力を入れることになっている。ところが社内でもやり手のバイヤーとして、同期よりも2,3年出世の早い佐藤は、山本がもっとも苦手とする相手だった。もちろん中堅の営業マンである山本にとって、自分のセールストークに自信が無いというわけではない。しかし、どうも性格的な問題なのか、佐藤の前に出ると、言葉がうまく出てこなくなってしまうのだ。

 もともと山本の会社を受け持っていたバイヤーは山本と歳も近い、わりと気さくな担当者だった。ただ取引額が多くなるにつれて、そのバイヤーの予算内では、だんだん賄いきれなくなり、社内で切れ者の佐藤と交代することになったのだ。

 本当のことを言うと、最初は山本も佐藤と仕事がしたいと思っていた。その方が大きな仕事が出来そうだったし、他の会社の営業マンと話しているときの佐藤は、それほど打ち解けにくいという印象もなかったのだ。ところが、初めて佐藤と商談した時に、それが違っていたことに気がついた。どちらかというと、軽佻な話題で話の糸口をつかむ山本の手法は、逆に佐藤がもっとも嫌うところだったようで、山本の話にほとんど耳を貸そうとはしなかった。ときおり笑いを交えて商談をしたい山本にとって、いつしか佐藤との商談は苦痛でしかなくなった。そんな山本の心を知ってか知らずか、佐藤はあくまでビジネスライクにことを進めるのであった。

「ああ山本さん、いいところへ」
受付を済ませた山本に佐藤の方から声をかけてきた。
「おはようございます。どうかしましたか?」
山本は急に不安にかられた。
「いや、実は、先日発注した製品の件で、山本さんに折り入ってご相談がありまして」
佐藤は、営業用の笑みを浮かべながら、まあ座れとでも言うように、応接の椅子を指し示し、単刀直入に切り出した。
「先日発注した製品なんですが、値段をもう少しなんとかしてもらえないかと思いましてね」
山本は思いもかけず言葉を失った。
(何を今さら・・・・)
返す言葉も見つからないほど、山本は動揺していた。それを見透かしたように佐藤が続けた。
「いや、山本さんがギリギリの線で値段を出してくれたことは、十分承知しています。ただ私の方でとんだ計算違いをしていまして、今月の予算が足りなくなってしまったんですよ。今の値段のままだと、発注した製品の半分くらいしか仕入れられなくなってしまいます。そこでなんとか、もう少し値段を勉強してもらって、こちらとしてもできる限り仕入れさせてもらい、残りの分は来月分に回してもらいたいんですよ」

 山本は暗澹たる気持ちになった。もともとその製品の値段は、佐藤の頼みで上代に合わせて無理やり値引いたものである。それもメーカーに頼んで、必ず注文分は全てその月に買い取るという条件のもと、加工代も値切りに値切って出した金額だ。もし、その製品が他のところへ持っていっても売れる物ならば、それほど悩む必要もなかったのだが、佐藤の会社のオリジナル商品として発注しているので、製品には全て会社のロゴが入っている。

 山本は突然窮地に立たされた。そもそも今回の注文は、これから本格的に佐藤の会社に参入する目的で、儲けは度外視したものである。手形の金利を考えたら、ほとんど利益も出ないような商売だった。それを特別に決済をもらって進めた計画なので、わかりましたと素直に引き下がるわけにもいかない。かといって、予算が無いと言われてしまえばそれまでなのだが、山本は佐藤が言っていることに嘘があるのは見抜いていた。

 さっき、会社の入口ですれ違ったのは、間違いなくライバル会社の営業だ。最近そこが新しい素材を使った新製品をだしたことは知っていた。今までの調べでは、そのライバル会社は佐藤の会社との取引は無かったはずだ。それが、意気揚揚と出てきたところを見ると、恐らく商談がまとまったに違いない。その分の予算を自分のところの予算から賄おうとしているのは、容易に想像できた。

 佐藤は普段見下している山本に対して、なんとか山本さんの力でお願いしますよと言うような、心にも無い勝手な事を言っている。しかし、山本はこの窮地を打開するためには、どうすればいいかと算段していた。何度も商談を重ねてきた結果の受注である。発注書も受け取っているので、分は山本の方にある。だがしかし、その場限りの付き合いで無い以上、先方の事情も斟酌しないわけには行かない。

「ちょっと相談させてください」
山本はそう佐藤に断ると、鞄から携帯を取り出した。

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