呪縛 天真文庫
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茂三は耕太朗の遺影の前で手を合わせながら、心の中ではひそかにほくそえんでいた。
人生80年あっと言う間だったな。しかし、お前と違ってまだ俺は生きている。同い年のくせにいつも兄貴風を吹かせて俺を子ども扱いし、今までいろんなことで散々馬鹿にされてきたが、もうお前に嫌な思いをさせられることも無い。子供の頃からいつも比較されてきた。お前はいつも俺より勉強も運動も出来た。それだけじゃない。社会に出てからも給料やら何やら、俺は一度たりともお前に勝ったことが無い。老後に到ってはお前はゲートボールのヒーロー、俺は試合に出してもらえずにいつも審判だった。だがもう人前でみじめな思いをすることもない。とうとう俺はお前の呪縛から逃れたのだ。どんなにお前が俺より優れていると言っても、所詮は生きていた間だけだ。もうお前には俺を馬鹿にする口も無ければ、それを証明する術も無い。これからは俺の時代だ。俺は生きている。最後は生きているものが勝つのだ。たとえ鬼嫁にいじめられても、その分他に楽しい事を見つけてやる。死んだお前には出来ないことだ。わかったか、人間死んだら負けなのだ。

茂三はそれまでに味わったことの無い開放感に包まれていた。いまいましい耕太朗の奴、株で儲けたと言っては俺に自慢にしに来たり、万馬券が当たったといっては恩着せがましく俺に酒を振舞った。だがそんなお前に俺はいつも苛立っていたのだ。お前の自慢話など嬉しくも無い。

耕太朗が死んでからしばらく経つと、なぜか茂三はツキまくった。以前万馬券が当たったと自慢された悔しさから競馬場に行ってみれば、これがまた面白いように当たる。耕太朗が当てたという万馬券よりもはるかに高額な万馬券が当たった。また試しにインターネットで株をやってみた。すると茂三が買った株があっという間に高騰し、これまた大いに儲かった。茂三は耕太朗のツキを全部自分が拾ったような錯覚に陥った。それも今まで我慢してきた結果だろうと思った。金が入れば鬼嫁の態度も当然変わり、茂三は家の中でも安穏な生活が出来た。それまで耕太朗に振り回されてきたことが嘘のように茂三の心は穏やかだった。だがそれと同時になんとも割り切れないもうひとつの気持ちが茂三の中にあるのは確かだった。

「いくら今の自分が幸せでも、死んだ奴には自慢できん」
茂三はふと侘しさを感じて、これを払拭するにはどうすればいいのだろうかと考えた。
「そうだ、耕太朗の墓に俺の成果を報告してやろう。そうすればあいつもあの世で悔しがるに違いない」
そう思い立つと茂三は墓参りに出かけた。
「あいつももう誰にも相手にされていないのだろうな」そんなひとり言をつぶやきながら茂三が耕太朗の墓の前までやってくると、見慣れない一人の老女が墓に手を合わせていた。

誰だろうと思いながら茂三が近づいていくと女のほうもそれに気付き、突然向こうから声をかけてきた。
「茂三さんですか?」
なんでこの女は俺のことを知っているのだと茂三が驚いた顔をしていると、
「すぐにわかりましたわ。以前耕太朗さんがおっしゃっていた通りの方・・・」そう言ってその老女は笑顔を見せた。
(そう言えば前に耕太朗の奴、老人会でいい女を見つけたと言っていたな。名前は清子と言ったか)
まさしくその女は清子だった。

「あなたも耕太朗さんを偲んでおいでになったのですね」
清子は一人合点しているが冗談じゃない。
俺は耕太朗を嘲りにこうしてやってきたのだと茂三が心の中で思っていると
「本当に耕太朗さんがおっしゃっていたように優しいお方」
とまたも清子はひとりで勘違いをしていた。茂三は少し癇に障った。
(そもそも俺はあいつの事が嫌いなのだ。)そんな耕太朗と仲が良かったその女も同類のような気がして、茂三は清子の言葉も即座には受け入れられなかった。

茂三が応えあぐねて黙っていると清子は続けた。
「あなたのことは耕太朗さんからいつも聞かされていましたわ。
ええ、あの人の話と言えばいつもあなたのことばかり。。。あいつは俺と同い年だが、どうも黙ってみていられない弟のようなところがある。何かと世話を焼かせて面倒なこともあるが、それでも本当に可愛いところがある奴だ」
清子は生前耕太朗が言っていた言葉を懐かしく思い出しながら茂三に聞かせた。
他人から聞かされる言葉と言うのは妙に説得力がある。特に利害関係の無い相手の言葉は真実を語っていると思わせるに十分で、茂三は妙な感覚に捉われた。

「ただ、こうもおっしゃっていましたわ」
そういうと清子の顔が俄かに翳りを見せた。
「俺はあいつの事が大好きなんだが、どうもあいつは俺のことが煙たく思えることもあるらしい。俺もあまり口のうまい方では無いから、あいつにうまく伝えることは出来ないんだがな。俺はあいつのいない人生なんてつまらない。ただもしかするとあいつは俺がいない方が気ままにのんびりと暮らしていけるのかもしれない。だから俺はあいつよりも早く死んでやるんだ。それが不器用な俺にできるあいつへの最後の気持ちなんだ」
そう言うと清子は持っていたハンカチで顔を覆った。

しばらく墓石を睨みつけながら清子の話を聞いていた茂三だったが、その話を聞き終えると胸の中が激しく波打った。そして子供の頃からの耕太朗との思い出が鮮やかに蘇ってきた。確かに一緒にいると絶えず劣等感を感じさせてくれる嫌な存在ではあったが、思い起こせば、隣町の番長に絡まれたときに身体を張ってかばってくれたことがある。自分が落ち込んでいるときには、いつも「元気を出せ」と励まされた。そして俺が結婚した時には一番に喜んでくれた。確かに自分の戦果を誇らしげに語ることは多かったが、他人の前で俺と比較して自分の優位を自慢することは決してしなかった。

そこまで考え到ると茂三は自分の愚かさにようやく気付いて絶句した。そうだ、俺を一人前の人間として、真の友として接してくれたのはあいつしかいなかった。あいつは鬼嫁のように経済的な理由で態度をころころ変えたり、上辺だけのお世辞を言ったりする町内会の連中とは違っていた。あいつだけが俺と本音で向き合ってくれていたんだ。

やがて茂三の目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
その様子を見ていた清子は突然のことに驚いたが、その心中を察して茂三に場所を譲った。茂三は崩れ落ちるように墓石の前にしゃがみこむと耕太朗が祀られた墓石を見上げながら、一心不乱に手を合わせた。茂三が真の友を失った瞬間だった。悔悟の念と惜別の涙にくれながら見上げていた墓石にうっすらと耕太朗の笑顔が浮かび上がったような気がした。

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