孤愁 | 天真文庫 | ||||
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信州にあるそのペンションは、夏は白樺湖リゾートにほど近く、冬は目の前がゲレンデと言う恵まれた立地だった。折りしもペンションブームに沸き、地域振興というよりは、大手デベロッパーが開発に力を注いだ結果としてだが、すでに近隣には何軒もの、それぞれ特徴のあるペンションが建ち並び、一団のペンション村を形成していた。 守は夏の旅行計画を彼女の由美から聞いたとき正直戸惑った。聞き覚えのあるそのペンションの名は、間違いなく由美と知り合う前に付き合っていた、前の彼女との思い出の場所である。そこはペンションというよりは、むしろスキー用の宿泊施設といった趣きで、作りは今時のペンションと言うよりロッジに近かった。その頃はまだその近隣には、他に2軒のペンションしか建っていなかったが、彼女が持ってきた観光雑誌の写真を見ると、以前よりもかなり開発が進んで、景観だけ見ればほとんど当時の面影らしきものは無い。しかし、まわりの景色は違っていても、そのペンションの外観は、前の彼女との多くの思い出と共に、はっきりと脳裏に焼きついている、あの時のままだ。 守はどうしようか考えあぐねた。恐らく本当のことを言えば、由美の方から別のところにしようと言うに違いない。しかし、焼きもち妬きの由美のことだ、きっといろんなことを根掘り葉掘り聞いてくるに違いない。もちろん、由美と付き合う前のことだから、守にもやましいことはないのだが、それを聞いて由美が面白いわけがない。もうひとつは、もし別のペンションにしたところで、観光地である以上、行くところと言えばある程度お決まりの場所だ。その場所場所で昔の彼女との思い出が蘇るのは想像に難くない。 「ねえ、どうかしたの?」 きっと顔に戸惑いの色が浮かんでいたのだろう。由美は覗き込むように、守に話しかけた。 「え、いや由美はここ行ったことないんだよね?」 「そうよ、だから行きたいんじゃない。もしかして、守君は行ったことがあるの?」 「え?いや、俺も行ったことは無いよ」 唐突な問いかけに思わず口をついて出た言葉だった。守は一瞬しまったと思ったが、それがまた当然であるかのように咄嗟に否定せざるをえなかった。 どうやら由美の中ではすでに向こうでの予定もある程度決まっているようである。その雑誌には、人気のレストランやら観光スポットのページのところどころに折り目が入っている。 「ほら、蓼科の方においしいデザート屋さんがあるみたいなのよ。ここなら車ですぐでしょ?このケーキおいしそうじゃない?・・・・」 最後の方はほとんど独り言ともつかない状態で、由美は一人想像の世界に入っている。 もともと前の彼女と別れたのは、決してお互いが嫌いになったからではなかった。ちょっとしたボタンのかけ違いで、いつの間にか疎遠になり、いつしか連絡もとらないようになっていた。そのときに現れたのが由美だった。守は前の彼女との事がうやむやなまま、由美と付き合うようになった。そして由美と付き合いだして半年してから、突然前の彼女から電話があり、その時初めて由美と付き合っていることを告げた。守は申し訳なさと共に、大事なものを失ったときの悲しさのような感情にかられていた。その時彼女は消え入るような声で「お幸せに。。。」と言った。守は胸にこみ上げるものがあったが、「ありがとう、君もね」と応えた。 きっと俺の中では前の彼女のことを捨て切れていないんだろうな。守は自分の気持ちを確かめながら、今彼女はどうしているだろうかと考えた。その時の電話以来、彼女とは連絡をとっていない。恐らくこれから先もずっと彼女と話すことはないだろう。 きっと自分と同じように新しい人を見つけて幸せになっているに違いない。心のどこかでそう思いたかった。だがその一方で、今もまだひとりのまま、自分のことを思っていて欲しいと願っている勝手な自分もいた。 「ちょっとトイレに行ってくるね」 そう言うと由美は読んでいた本を置き、席を立った。 テーブルの上に無造作に置かれた信州と書かれた雑誌。その表紙をぼんやりと眺めながら、守はなんとも言いようの無い寂しさにとらわれていた。 Copyright(C)2004 Ten_sin_dome.All rights reserved. |
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