輪廻 天真文庫
目次

HOME

 猛は小学校三年生。上に小学六年生の姉がいる。姉は控えめでクラスでもあまり目立たない存在だが、猛は逆にクラスの暴れん坊。いつも授業中に悪ふざけをしては、先生にしかられていた。猛にはクラスにひとり気になる女の子がいた。その子は名前を綾といい、見た目は可愛らしかったが性格も言葉使いもまるで男のように乱暴だった。

 猛は姉が好きだった。その姉はけっして器量が良かったわけではないし、弟の面倒見が良かったわけでもないのだが、なぜかそのしとやかな性格に猛は女性らしさを感じていた。だからたとえ見た目が可愛らしくても、生意気で男勝りの綾をどうしても好きになれなかった。だが嫌いだったのかと言うとそうではない。もし綾が姉のような性格だったらきっと好きになっていただろうし、もっと優しく接したに違いない。だが、綾のその性格がどうしても許せなかった猛は、その沸き起こる感情をどうしても止めることが出来なかった。

 ある日のこと猛は綾をいじめて泣かせた。傍目には子供同士の喧嘩くらいにしか見えなかったかもしれない。でも猛はそれをいじめだと思ったし、綾もいじめられたと思っていた。もちろん綾も相手の思うがまま、ただいじめられていたわけではないから、他のクラスメイトには、やはりただの喧嘩にしか思えなかったし、実際に担任にも特にいじめの連絡は無かった。

 しかし綾にしてみれば相手は男、あと一、二年もすれば綾の方が身体が大きくなって、逆に猛の方がいじめられていたかもしれないが、成長期前なので体格的にそれ程の差は無くとも、体力には違いがあった。綾にとって猛は脅威だった。

 猛はけっしていじめが好きなわけではなかった。むしろ弱い者や女をいじめるのは最低の男の行為だと思っていた。しかし、綾は決して弱いものではない。時々男子が泣かされるくらいだから、猛にとってはそれは弱い者いじめではなくて強いものいじめだから、自分の一分は通っていると思っていた。

 猛の目的は生意気な綾を懲らしめることではなかった。むしろ綾みたいな女性に憧れを抱いていたところがある。控え目でおとなしい性格の姉に確かに惹かれるところの多かった猛だが、むしろ綾のようにもっと活発に自分を出して欲しいと思っていたところもある。

 猛の目的は綾に女らしくなってもらいたかっただけだから、たとえ綾をいじめて泣かせても、ちっとも楽しくなかった。むしろいっこうに直らないその性格を疎ましく思えて、いじめればいじめるほど猛の心は虚しかった。

 猛は気持ちの上では綾のことが好きだ。しかし、いじめずにはいられない。自分なりにジレンマを感じていたある日、姉が学校から泣きながら帰ってきた。母親が事情を聞くとどうやらクラスの男子にいじめられたらしい。母親は最近のいじめの惨さをテレビを通して知っていたから娘の事を大いに心配した。一方、父親は子供の喧嘩はよくあることだと最初取り合わなかった。猛は大好きな姉がいじめられたと聞いて心中穏やかではなかったが、自分にはどうしようもない。やっぱり姉のような性格だといじめられてしまうのだろうかと思っっていた。

 猛の気持ちは晴れない。自分の気持ちを綾にぶつけて女らしくなって欲しいと思えば思うほど、思い通りにならないいらだたしさに悩まされた。それに加えて姉がいじめられて帰ってくることも多くなった。とうとう心配になった母親が学校に相談に行こうと考えた時に、姉はいじめられている原因を母親に語った。そのとき猛も近くにいて聞いていた。

 どうやら姉をいじめていたのは、同級生の綾の兄である。それを聞いたときに猛は愕然とした。妹思いの綾の兄が妹の仇を打つべく姉をいじめていたのだ。本来なら猛をいじめれば良い。しかし綾の兄は低学年の猛をいじめたらそれこそ本当のいじめになってしまうと思い、その腹いせに姉をいじめることにしたのだ。綾の兄としては、自分の可愛い妹の仇を取るための正義の行動だ。

 猛は反省した。自分のした行動により、大好きな姉を傷つけてしまった。いや、姉ばかりではない。綾はもとよりきっと大事な妹を傷つけられた綾の兄も傷つけてしまっただろう。
だが、猛はそのことで綾をより恨むようになってしまった。今日こそもっと綾をいじめてやろうと思って学校に通うとき、前を歩く綾と兄の姿があった。猛は兄に手を引かれ嬉々として歩いていく綾の後姿を見つめながら、その姿に姉を慕う自分の姿を見出した。

 やがて猛の怒りは雲散霧消した。そして仲のいい兄妹の姿に自分のしたことの愚かさ、そして泥沼に踏み込んでいったであろう自分の心の狭さを思い知らされた。恨みは恨みを呼び、そして自分の心を曇らせる。愛と言うのは言葉に現せない自然な形として具現化するものである事をその時初めて悟った。

 いつしか猛は綾にすまないことをしたと思うようになっていた。そしてもっと綾に思いやりを持って接しようという気持ちになっていた。本心からそう思えたときに、猛が今まで抱いていたわだかまりや、心の葛藤がいつの間にかどこかへ消えてしまった。
その日は朝から快晴だった。


 Copyright(C)2004 Ten_sin_dome.All rights reserved.
前頁 ― 3 ― 次頁