その時 天真文庫
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「ねえ、今度の夏休みはどこに行く?」
明美が屈託の無い笑顔を見せて、康弘に尋ねた。
 「え、ああそうだなぁ、この辺はだいたい行き尽くしたし、できれば北海道とか行きたいんだけどな」
康弘はその気があるのか、無いのかわからない口調で言った。
 「でも北海道だと、今から予約しておかないと取れないんじゃない?」
 「ああ、そうだね。ひょっとしたらもう全部埋まっちゃってるかもしれないな」
 「もう、あなたっていつもそうなんだから。本当に行く気あるの?」
明美は康弘の優柔不断さにいつもイライラさせられていた。
 「俺はお前と一緒だったらどこでもいいから」
笑いながら答える康弘であったが、その笑みもまた逆に明美の苛立ちを増した。
 「ねえ、もう来年は就職活動なんだから、今年くらいしかゆっくりできる時無いよ」
 「え、うん、まあ、それはわかってるんだけどな・・・」
 「もういつも私ばっかり考えてるじゃない。たまには康弘から提案してよ」
康弘も行きたくないわけではなかったが、明美の積極性が時にストレスに感じる時があった。どちらかというと行き当たりばったりの性格で、その時楽しければ、それでいいという康弘の考えは、明美の几帳面さからは許しがたいものだった。

 「でもお前、海嫌いだって言ったじゃん」
 「もう、だってそれは陽に焼けちゃうと、私大変だからって言ってるでしょ」
 「まだシミになる歳じゃないだろ」
 「そんなこと断言できるの?若い時に肌を痛めるとあとで取り返しのつかないことになるんだから。康弘が責任取ってくれるって言うんならいいけどね」
 二人は恋人同士だから別にこの先結婚を考えていないわけではない。
でもお互いにまだ若いし、今すぐ結婚したいわけでもなかったから、二人ともその事は敢えて言及しないでいた。
 康弘は旅行に関して言えば、正直二人の旅行は別にもう珍しいことではなくなっていたし、最初の頃のドキドキした感情はすでに無くなっていたから、ある意味どうでも良かった。

(俺は将来、こいつと結婚するのかな)
漠然とそんなことを考えながら、旅行のパンフレットに見入っている明美の姿をぼんやりと眺めていた。どうやら明美の思考は、すでにどこに行くかを決める最終段階に入っているようである。真剣なその眼差しを見ているうちに、康弘は、まあそれもいいかな、と思うようになった。新緑の若葉の匂いが鼻を掠める。いつの間にか康弘は笑い出していた。
突然笑い出した直弘を怪訝そうな目で見つめる明美の顔。康弘はそんな明美にまた何故か笑いがこぼれてきた。

 「何よ、人の顔見て笑って、失礼ね」
明美がほっぺたを膨らませながら、怒っている。
 「ねえ、何がそんなにおかしいの?」
 「いや、なんでもないよ」
康弘にもなんとも説明のしようがない。ただ自分の心の中で何かがはじけたんだと納得して、明美に笑みを返すだけだった。
 「あ、じゃあねえ、ここなんてどう?」
 「え、どこどこ?」
自然と縮まるその距離に、康弘は二人の未来を感じていた。

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